東電柏崎刈羽原発ができるまで その4

74年8月、地元紙・新潟日報の社会面トップに、
「1号炉真下に断層 新潟大教授が判定」
の見出しが踊った。「柏崎原発反対同盟」をはじめとする反原発市民が、新潟大学教授らの協力を得て地盤調査に乗り出し、その結果が発表されたのだ。

柏崎市で原発誘致の先頭に立ってきた小林治助市長は苦悩した。どうしても原発を誘致したい。しかし地盤調査の結果を知って不安を訴える市民の声は無視できないレベルに達していた。

11月、小林市長は、県に対して地盤問題の判断を求めた。市が判断すべきことを県に丸投げとはおかしな話だが、大学教授が示した科学的根拠ある調査結果に対抗するには、それに匹敵する権威ある材料が必要だったのだ。市長はそれを県に求めた。

翌年2月、県からの回答があった。小断層は存在する、しかし施工方法で対処できるので支障はないという、市民を納得させるのには実に都合の良い回答だった。

地盤調査の結果も一部認めながら、安全性については100%のお墨付きを与える。相手の言い分を全否定はせず、巧妙に過小評価して自己の主張を正当化する材料に組み入れる。政治的な駆け引きに慣れた人物の「作文」であったことがうかがえる。

ちなみにこの時の新潟県知事は、自民党所属の参議院議員だった君健男氏。単なる支持・推薦の関係で自民党を与党にしているのとは異なる、生粋の自民党の政治家だった。

東電は、早くも翌3月に1号機の設置許可を国に申請。こうして柏崎刈羽原発は本格的に着工されていくことになった。

従来、原発が設置される場所は、慎重の上にも慎重を重ねて詳細に調査された、最も安全な場所だと思わされてきた。しかし実際は、政治家による土地転がしの末に東電に渡った土地が、そのまま建設用地になっていた。

しかも、科学者が指摘する地盤の危険性をも、安全無視の「政治判断」が一蹴。この“利権優先”、“まず原発推進ありき”の政治のあり方は、昔も今も変わらない。

こうして、欲とカネにまみれた砂地の上に建てられた、文字通りの砂上の楼閣。それが東電柏崎刈羽原発だ。そこに、全7基、出力合計821万2千kWという、世界最大の原発が置かれている。

[一応おわり]

 

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