東電柏崎刈羽原発ができるまで その2

さて、刈羽村長・木村博保氏が購入した52haの土地は、1ヶ月もしない66年9月9日に所有権が移された。新たな所有者として登記されたのは室町産業株式会社。室町産業といえば、新潟県出身の政治家、後の総理大臣、田中角栄氏のファミリー企業である。

ところが翌67年の1月13日に、この所有権移転登記は錯誤だったとして抹消手続きがとられ、所有権は再び木村村長に戻された。

この不可解な所有権の移転は、錯誤ではなかった。木村氏は、この土地を信用金庫からの融資で購入した、しかし返済の目途が立たなくなったので田中先生に購入をお願いしたと、後年の取材でそう答えている。

錯誤という奇妙な理由で登記を取り消したのは、国会の動きが原因だった。所有権が室町産業に移った直後の10月20日に、共産党所属の議員が、同社の信濃川河川敷買い占め疑惑を追及したのだ。

もしこの時、木村村長の52haの土地のことも明らかになっていれば、大きな政治問題となって、柏崎刈羽原発は建たなかったかもしれない。実際、国会では、次の追求は原発の土地だという噂が飛び交っていたという。

その後、この土地はいったん農業振興のための用地と位置づけられ、県の認可も得て砂丘地を耕作地に変える計画が進められていくが、その裏で、原発計画は着実に進められていった。

刈羽村長から新潟県議会議員に転身した木村氏は、69年1月、東電中津川第一・第二発電所(水力発電所)の地元である中魚沼郡選出の祢津文雄県議の紹介で、東電の筆頭常務・小松甚太郎氏と面会。ここで東電からの具体的な原発建設計画の話がもたらされたという。原発が欲しい柏崎市と刈羽村。原発を作りたい東電。ここに相思相愛の関係が出来上がった。

[続く]

 

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